磯田湖竜斎・いそだこりゅうさい(生没年不詳)
1770年頃より20年ほど活動した浮世絵師。その生涯についてはほとんど分からず、弟子の存在も確認されていません。はじめ春広と名乗り、当時一世を風靡していた春信風の美人画を描いていましたが、次第に、堂々とした灯籠鬢(とうろうびん)の美人で独自の様式を確立していきました。錦絵の代表作は、安永6(1777)年から、蔦屋重三郎と西村屋与八の共同出版でスタートした「雛形若菜の初模様」。趣向をこらした衣裳を身にまとう遊女たちの華やかな姿が好評を博し、100図を超える大シリーズとなりました。また庶民が家の柱に飾って楽しんだ「柱絵判」の作品を数多く手がけ、晩年は活動の基盤を肉筆画に移し、品格のある美人画を描きました。