画狂老人卍期の作品

1834年、数々の富士山の名画を生み出してきた北斎は、その集大成となる絵本『富嶽百景』で「画狂老人卍」の号を初めて用い、巻末にはさらなる画技の向上への意欲を表明しています。最晩年の北斎は、風俗画としての浮世絵の枠組みにとらわれることなく、その画題は動植物などの自然や、宗教的なモチーフが増えていきました。死の間際まで画技を磨き続けることを望み、終生真の画家となることを追求しました。