春朗期の作品

1778年、北斎は19歳で役者似顔絵の第一人者・勝川春章に入門し、翌年には「勝川春朗」を名乗っています。師春章の画名から「春」の字を、師の別号旭朗井(きょくろうせい)から「朗」の字を与えられ、絵師としての将来を期待されていたことがうかがえます。勝川派らしい役者絵や、美人画を中心に描き、当初は勝川派の画風を忠実に継承しようとした姿がうかがえますが、その後、次第に伸びやかな独自の画風を確立していきます。