春朗・宗理期の作品
1778年、北斎は19歳で役者似顔絵の第一人者・勝川春章に入門し、翌年には「勝川春朗(かつかわしゅんろう)」を名乗っています。勝川派らしい役者絵や、美人画を中心に描いた「春朗期」は、北斎の浮世絵師としての活動のスタートにあたります。
師・勝川春章の死後、北斎は勝川派を去りました。その後、1794年頃に琳派の流れを汲む「俵屋宗理(たわらやそうり)」を襲名し、優美な画風の摺物や狂歌本の挿絵、また肉筆の美人画などを手掛けるようになります。1798年、「北斎辰政(ほくさいときまさ)」と改号した北斎は、独立した絵師として再出発しますが、引き続き宗理様式の画風で活動を続けます。1800年代初頭から再び錦絵の制作を始めた北斎は、西洋の透視遠近法に学んだ洋風風景画を多く手がけています。