葛飾北斎・戴斗期の作品

1805年、46歳から北斎は「葛飾北斎」の画号を用いました。この頃の北斎は、曲亭馬琴や柳亭種彦らの読本への挿絵に最も力を注いでいます。錦絵でも名所絵の揃物や戯画・おもちゃ絵を、また洗練された摺物や、妖艶な肉筆美人画などにも多彩な作例を残しています。
1810年頃から北斎は「載斗」を号し、絵手本の制作に傾注するようになりました。近年注目の集まる『北斎漫画』はこの頃の作品です。