
Utagawa Hiroshige
歌川広重・うたがわひろしげ(1797-1858)
広重は、寛政9年(1797)江戸八代洲河岸の定火消同心・安藤源右衛門の子として生まれました。幼少より絵を好み、15歳のときに歌川豊広の門下となりました。初め、美人画や役者絵を描きましたが、やがて「東都名所」のシリーズを皮切りに、数々の風景画を制作、人気絵師として名を馳せます。
天保年間に保永堂から出版された全55図の「東海道五十三次」が大ヒットし、以降数々の東海道の風景画を描きました。
花鳥画にも詩情溢れる優品を残し、最晩年に手がけた一大連作「名所江戸百景」では、四季折々の江戸の風景を、独特の視点と豊かな感性で描き出しました。同シリーズは、ゴッホが模写したことでも知られています。
世界を魅了した広重―ジャポニスムの源流へ
19世紀後半、ヨーロッパで広がりを見せた日本美術の流行「ジャポニスム」。その火付け役となったのが、同時期に大量に海外へ渡った浮世絵でした。
ヴァン・ゴッホは広重の「大はしあたけの夕立」「亀戸梅屋舗」を模写したことで知られ、印象派の巨匠クロード・モネは広重の「亀戸天神境内」にインスピレーションを受け、自宅の庭に太鼓橋を設置したと言われています。
西洋美術には存在しなかった大胆な構図や遠近法、木版画ならではの鮮やかな色彩は多くの芸術家を魅了し、「ヒロシゲブルー」という言葉が生まれたほど。こうした広重の表現は、印象派やアール・ヌーヴォーなど新しい西洋美術の誕生にも大きな影響を与えました。
雨、雪、月―叙情豊かに描くニッポンの四季折々
雨や雪、月といった気候や季節の移ろいを情感たっぷりに描き出した広重の風景画は、見る人に日本の四季の美しさを感じさせます。
海外から輸入された美しいブルーの顔料「ベロ藍」や、「ぼかし」(グラデーション)といった表現を巧みに用いて数多くの名作を生み出した広重は、“風景画の名手”として広く知られるようになりました。
江戸の庶民に大流行!“広重流”の視点で魅せる名所絵
幕府による街道の整備を背景に、全国的に旅ブームが広がった江戸後期、庶民の間では名所絵が流行しました。
広重は、近景を大胆に切り取る描写や、画面に奥行きをもたらす構図を用いて臨場感あふれる作品を数多く残し、名所絵に新たな魅力をもたらしました。
江戸を中心とした名所を描いた「名所江戸百景」は、広重晩年の人気シリーズです。


















